トップ > アダム神父様の紹介

アダム神父様の紹介

アダム神父様35年間香港日本人カトリック会を支えて下さったアダム神父様が2019年12月体調を崩してリタイアしてニューヨークメリノール本部に戻り、メリノールの施設Society Centreに住まわれていましたが、2020年4月24日アメリカを襲ったコロナウイルスに感染して亡くなられました。(91才) 多くの日本人に尊敬されて、数多くの日本人を洗礼に導きました。キリストと共に歩く姿はそのまま私たちにとって聖書以上の教えとなりました。神の国に行かれても宣教を続けておられるアダム神父様の姿が思い浮かびます。ここにアダム神父様の略歴を紹介致します。

アダム神父様(Fr. Adam Bernard Gudalefsky)は1928年8月21日父アダムと母キャサリンの8番目の子供として、アメリカペンシルベニア州のシェプトンで誕生しました。両親はポーランドからの移民で兄弟10人という大家族で、信仰篤い家庭で育ちました。学生の頃から家計を助けるために色々なアルバイトをしました。1946年高校卒業後、陸軍に志願します。入隊後アメリカ統治下の日本に3年間勤務しました。この期間、教会経営の児童養護施設を手伝ったり、給食サービスプログラムを企画したり、教会誌を発行したりします、困窮している修道会に物資を運ぶ活動をしました。その時の従軍司祭との出会いが新しい道を開いてくれます。戦後の経済的にも精神的にも荒廃した日本人の心の灯を照らそうと、アメリカで司祭になり日本に戻って来ようと決心します。そこで、1949年軍曹として名誉除隊し、同年ペンシルベニア州のメリノール神学校に入学します。30才の1959年6月13日司祭として叙階されました。この叙階式で念願の日本へのミッションが任命されます。東京と京都での語学研修を終えて、滋賀県草津市、北海道室蘭、夕張、京都、三重県鈴鹿市、四日市市と司牧にあたり39才の時再び夕張へ戻ります。日本にいる間、教会、保育園運営を含む初等教育、知的障害者施設の設立や運営にも尽力しました。

1977年メリノールミッション設立の為、ネパールに向かいます。約6年間滞在の間、布教活動の他に、知的障害者の教育介護に本格的に取り組みます。「HANS」という司牧的プロジェクトを立ち上げて、知的障害者や女性の地位向上、読み書きを学ぶプログラムを提供しました。その後2019年までチームを組んで一緒に東南アジアの布教活動を一緒に続けたフィリピン人のシスター・チンとはネパールで知り合います。当時インドにも時々出かけ、マザーテレサとも働きました。

1983年、54才の時、香港に配属されます。1年間UCANニュースサービスでジャーナリストとして働き、それから、世界各地で教育的社会的プロジェクトを行うNGOである「INTERAID, Inc.」の設立に協力しました。このプロジェクトは、香港、澳門、中国、ブータン、インド、パキスタン、タイ、ベトナム、フィリピンで数多く実践されています。社会意識や読み書きを学ぶもの、精神障害者の介護をする人のためのもの、里親スポンサーシップ、食品供給プログラム、NGOグループとの協力、特殊教育等多岐にわたります。又特殊教育の意識を高める出版物を多数執筆、刊行しておりました。(約40冊)

香港日本人カトリック会には、1984年から参加し、以来35年にわたって、日本人会を支えて下さいました。当時はロザリーヒルスクールで月1回の日本語ミサでしたが、1989年からアダム神父様の尽力で、ハッピーバレーの聖マーガレット教会の信徒会館の1階のチャペルを借りられることとなり、毎週日曜日11時から日本語ミサをアダム神父様から与ることが出来るようになりました。 貧しい人々、社会的弱者をどのように支援するかを語る人は多くいますが、アダム神父様は、彼らのへの支援を自ら実践し続けてきました。いつも帰天して神様に会ったら、私のミッションのことを報告するのが楽しみだと言われていました。今は天国に召されて、神様から永遠の命を頂き、日本人会を見守っていてくれています。

2020年4月28日Apostles Chapelで神父様の埋葬ミサが行われ、同日Maryknoll Society Cemeteryに埋葬されました。


ミッション紹介(過去の記事より)

アダム神父様のミッションについてはこちらよりご覧いただけます。

掲載記事

アダム神父様の掲載記事についてはこちらよりご覧いただけます。

このページのトップへ